顔が丸くなってきた
こんばんは。
顔が丸くなってきました。
ステロイドによる副作用のムーンフェイスが現れ始めたみたいです。
実は、昔から顔の小ささだけは色んな人に褒めてもらっていて、体重が増加しても顔にお肉がつきにくいのが自慢でした。
なので、鏡を見るとちょっと落ち込んでしまいます。
「丸いなあ」と思ってしまうので。。笑
私は容姿にコンプレックスばかり。
だからダイエットもしたし、少しでも自信が持てるようにメイクも服も自分に合うものを今も研究しています。
でも今は歯の矯正をしているので、それをモチベーションにしています。
整ってきていて嬉しいんです。
輪郭も少し?変わったような気がします。
早くステロイドを減らして元の顔に戻りたいな。
夜は少し、泣きたくなるけど大丈夫!
身体は太らないように、健康第一で頑張ります!
私にとってキラキラした存在(工藤遥ちゃん編)
こんにちは。こんばんは。
今日は私の趣味について自己満足に書き留めます。
私は元モーニング娘。の工藤遥ちゃん、SexyZoneが大好きです。
彼らの共通点は、アイドル(ハルちゃんは「元」ですが)。
昔から、キラキラした存在が好きでした。
AKB48、NMB48、私立恵比寿中学、ジャニーズ色々…などなど中学生の頃から好きなジャンルはとにかくアイドル。
ミーハーかと思われた自分の趣味でしたが、
ついに!!!
「会いにいきたい」
「お金を使いたい(根からのオタク気質)」
と思えたアイドルがいました。
それが「モーニング娘。」と「SexyZone」だったのです。
本記事では、私の唯一の推しである工藤遥ちゃんについて愛を綴ります。(重)
当時の私は高校生、ハマるきっかけは姉から勧められた「What is Love?」のMVでした。
その頃、私は他のアイドルが好きで、モーニング娘。なんて古いと勝手に避けていました(食わず嫌いって本当に愚かです)
MVは、衣装がメンバーカラーでダンスするメンバーが映るだけの内容。
インパクトがあってつい最後まで見てしまいました。
歌詞の中には「たった一人を納得させられないで世界中口説けるの?」と言う問いかけがあります。
正直痺れました。
当時反抗期の私に「わがままばっか言ってるけど、あんたは目の前のこと当たり前にできてんの?」って言われた気がしてその曲が特別な感じがしたんです。
今でも一番大好きな曲でめざましにもしています。笑
その曲をきっかけにどハマり。
モーニング娘。が大好きになりました。
特に目を引いたのは、言わずもがな私の最推し、工藤遥さんだったのです…
(以下ハルちゃんと呼びます)
ハルちゃんは当時からめちゃくちゃ顔が可愛かった。それに歌も上手でした。
でもなぜか、歌割りはあまりなくたまにMVに映るけどどちらかというと端っこのポジションだったと思います。
この時の私はまだ知りません。
そんなハルちゃんが、モーニング娘。を引っ張るほど、歌もビジュアルもMCでも重要な存在になり、皆に心から祝福され惜しまれながら卒業する未来があることを…
話を戻しまして、ハルちゃんの魅力に気づいて会いに行けたのはハマりはじめてから1年後、鞘師里保ちゃんの卒業公演が初めてでした。
(今思うとデビュー戦すごいよね)
日本武道館の公演、席は遠くて、肉眼でメンバーの表情までは分かりません。
でも、そんなの関係ないくらいモーニング娘。のパフォーマンスはすごかった。
「位置って関係ないんだ」って思えるほどにエネルギッシュで一体感のある最高のステージでした。
そこからはもう即FCに入ってツアーは毎回参加。
個別のイベントにも足を運ぶようになりました。
実際にコンサートで体感したり、握手会やチェキ会に参加するうちに、ハルちゃんのことがもっと大好きになりました。
彼女はいつでも本気で頑張ってくれていたからです。
アイドルでプロとはいえ、まだ高校生。
少しくらい疲れた顔をしたって弱音を吐いたっていいし、そんな事でハルちゃんを応援している人たちは離れていかないはずです。
でもハルちゃんはいつでも笑顔で、完璧なアイドルでした。
歳下の女の子だけど、本当に尊敬しているし、ありがとうと言い続けたいです。
特にすごいと思ったのは、個別イベント。
ファンが楽しみにしていて1番お金をかけているイベントかもしれませんね。
握手会、チェキ会、サイン会などそれぞれ時間は数十秒。
ファンもその中で思い出を作りたい一心で色んな話を考えていきます。笑
裏を返せば、ハルちゃんは朝から晩まで1人ひとりの大事な数十秒と向き合ってくれるわけです。
いや普通にしんどいよ。
でも私、何度も参加した中で一度も「ハルちゃん元気ないな」と感じたことがありませんでした。
すごいよね。
やりたくない日、嫌なことを言われた日だってあると思う。
ハルちゃんはいつだって自分ベクトルではなく、いつでも他の誰かのために尽くしてくれる聖母のような存在なのです。
そんなハルちゃんが大好きだけど、やっぱりどこかで無理していないかなとかファンの期待がプレッシャーになったりしていないかなとか少し思っていました。
と、親心を発揮していたある日、ハルちゃんは卒業発表をしました。
ショックで翌日体調不良になったのを覚えてます。(全身全霊すぎ)
ファンに、卒業まで半年という期間を与えてくれて残りの応援期間はとても大切なものになりました。
最後まで配慮をありがとうはるちゃ…
工藤遥ちゃんの卒業公演は、今まで見たことがないくらいに可愛いハルちゃんがそこにいて多幸感に溢れていました。
私が楽しみにしていたのは、卒業メンバーが歌うソロ曲とその時に着る卒業ドレス。
歴代の卒業メンバーも、思い入れのある曲や好きな曲を歌いながらその日お披露目の綺麗なドレスで登場する流れがありましたから。
「ハルちゃん、何色のどんなドレスを着るのかな」
「選曲はハルちゃんらしい曲なのかな」
色々な妄想をしながらその時を迎えました。
出てきた瞬間私は泣いてしまいました(もう泣いてたけどまた出てきたよ)
なんと、短めのフリフリスカートにハートがたくさんついたオレンジのザ・アイドル衣装で現れたのです…
この人はどこまでも愛を持った人だ…とまじで自分が凡人であることを憎みました。
国民栄誉賞を受賞させたい思いでいっぱいです。
真っ先に思ったのは「ファンの人が好きそうだな」と思って考えてくれたんだろうなと言うことです。
自分が着たい形や衣装ではなく、ブリブリアイドルのハルちゃんが大好物のファンへ最後まで配慮をしてくれたんだと察してしまいました。
本当に可愛かった。
そして、選曲は「もしも…」
定期的に歌ってきたこの曲は、ハルちゃんの成長記録でもあり、節目の曲。
アイドルとして、完成形のもしもを見せてくれたハルちゃんは、もうほんとに自慢の推し意外の何ものでもありません。
アイドルとファンの関係は様々あると思うのですが、ハルちゃんとファンの関係は特に素敵だと思っています。
程よい距離感でお互いを尊重し、応援し合える。
なかなかできることじゃないけど、ハルちゃんの人間力がファンを導いてくれているんだと思います。
そんな神高校生だったハルちゃんはモーニング娘。の卒業を経て、今では立派な女優さん。
ハルちゃんがいつか言ってくれた、「モーニング娘。の時から応援してたんだよ」と言えるほど女優として確立したいという想いは、少しずつ実現されていってるように思います。
ハルちゃんなら当たり前なんだけどね、でもやっぱり、本当に心から凄いことです。
数年後、日本を代表する女優さんになって、
アイドル時代の自分を恥ずかしそうに語るハルちゃんも楽しみでなりません。
つまずいたってたまに休んだっていいから、ハルちゃんが幸せでいられるような未来がこれからも訪れますように。
いきなり入院した話
こんにちは。こんばんは。
今日は、私がいきなり入院した話をします。
私はリウマチの疾患で毎月病院に通っていますが、手の指関節と足首の経過が良くなく、一つステップアップした治療をこれから受ける予定です。
お金はかかるけど、骨が壊れることを防ぐために使用を決め、その準備として先日いつもの診察後にCT検査を行いました。
余談ですが、会社は通院を許してくださり、診察の日はAM病院→テレワークという方法で仕事をしています。
CT検査をした日もいつも通り帰宅後自宅でテレワークをしていました。
すると14時頃、病院から電話が。
「なんかあったかな…」と思いつつ電話をとると、案の定なんかありました。
「肺に影があるのですぐ検査しにきてください。」
えーーーーーん怖すぎる。
コロナかリウマチの薬による肺炎を起こしているかもとのことでした。
会社に謝罪の電話をいれ、即病院へ。
PCR検査の結果は陰性。
CT検査の画像を見ると、うーーっすら影が見えていました。
先生いわく、「小さすぎるから消失することもあるし、薬の影響でこうなる人もいる」とのことでその頃特に症状もなく、元気だったのでそのまま帰宅しました。
2週間後に診察の予定があったので、
その時にまた見てみようということになったのです。。
しかし!
それから1週間後。
なんとまあ、明らかに呼吸が浅くなり、頭痛っぽいだるさとふらつきの症状がありました。
平日でしたが、会社を休み病院へ。
ただでさえ休んでばかりなのにまた迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳ないです。
病院にいき、CTを再撮影。
そこには前回の写真とは比にならないほどもやついた肺がありました。
「これは入院したほうがいいですね。」
絶望感がすごい。
お金はどうしよう、会社にまた迷惑をかける、大きな病気だったら?
色んな負の感情が頭の中に巡りました。
とにかく決まったことは仕方なく、人生初の内視鏡検査を受けることになりました。
内視鏡検査の先生はとても優しい雰囲気で、「まだ若いから反応が敏感だと思うけど当たり前のことだから安心してね」と。
「というのは、つまりどういうことでしょうか?」となんとなく疑問に思いましたがその答えはすぐに回答がでます。
先生の口を開けてねーの声とともに、喉への麻酔をするために、奥の方まで管をいれシューっと液?をかけられました。
その瞬間、大きなえずきが。
「しんでしまう!」
語彙を最大限に失い、最も単純な感想が脳裏をよぎります。
おえおえーとなりながら格闘。
先生は「上手だよ、麻酔が効くと楽になるからね、頑張ろう」と声をかけてくれます。
うん分かったのでもうやらないで、もうやめて、頼むから、と思いながらも何度も管を入れられること数分。
やっとの思いで終了。そのあとは寝てしまって?全く記憶がありません。
カメラを入れるのが怖かったのでそれは安心でした。ありがとう先生。
とまあかなり体力を使い、その日はぐったりでした。
次の日になると検査結果が徐々に分かり、
原因はリウマチの薬ではなさそうだということが分かりました。
じゃあ何なのかというとそれは分からず。
外から吸い込んだ何かにアレルギー反応を起こして肺炎になったみたいなのです。
先生たちは、タイミング的に先日使用したゴキジェットが原因ではということで教えて下さいました。
7年以上使ったエアコン掃除も同時期にしているので多分相性が悪かったのかな。
薬とは偉大で、飲んですぐ肺は楽になりました。
原因不明とはいえ、治療薬が効いているので問題なく思ったよりも早く退院できる予定で過ごしていました。
がしかし。
入院してから約1週間経った日の朝、腕に少量の発疹が。
痒いなあと思っていたら、寝るまでには全身赤く腫れてしまったのです。。
痒いし、顔もただれているような見た目で本当にショックでした。
しかも翌朝起きるとさらに悪化。
先生からは退院は今週はできないね。とバッサリ。
さすがにメンタルにきたのか、静かに1人で泣いてしまいました。笑
原因はおそらく飲んでいる治療薬の副作用反応とのこと。
直ちに薬を中止して代わりの薬を飲み始めました。
1日半経つと発疹はほぼ治り、だんだん安心。
今、ベットの上でこの記事を書いているわけです。
正直、不安ばかりです。
もとの肺炎の原因特定ができないだけに、「家に帰ってまた何か起きたらどうしよう」とか「このままお金がかかりまくったらまた親に迷惑をかける」とか「薬の副作用で太ったらどうしよう」とかね…
でも、生きるしかなくてやるしかない。
何か変えるためにこのブログも書き始めたのだからね!
なんとかなると信じて頑張る。
私より辛い思いをしている人は沢山いる。
代わりに当たり前を感謝できるようになった自分は強いかもしれないし、発想も変わるかも。会社で役に立つことがあるかもしれないし、違うところで新しいビジネスが生まれるかもしれない。
分からないけど、そういう前向きな連鎖を信じてもう少し気を明るく持ってがんばります。
退院したら、マックかラーメンが食べたいな。
今日から始めます!
はじめまして、キナコと申します。
このブログは、私自身の記録用に書き留めようと思います。
頑張ったこと、辛かったこと、たまに思い出して、いつか何かにつまづいた時また前を向ける用と言った方がいいでしょうか。
でももし誰かがこの記事を見たときに、安心できる材料になったり、前向きな感情になってくれたらいいなという希望も込めて、私自身といるかもわからない読者様に向けて綴ります。
そもそも私は何者かというと、長野出身の田舎育ち、大学進学をきっかけに東京へ上京し、現在社会人3年目のただの24歳OLです。
趣味は、工藤遥ちゃん、SexyZoneを飽きるまで見て癒されること。キラキラしている存在にほぼ毎分助けられています。
いつもありがとう。(本当にありがとう)
そんなこんなで(?)稚拙な文章もあると思いますが、大目に見ていただけると嬉しいです。
そして唐突ですが、私はリウマチを患っています。
このブログでも経過を綴る予定なので、リウマチについてまずは書いてみようと思います。
始まりは2020年の12月。
右手の親指の腫れた痛みを感じはじめ、放っておいたら今度は左手の薬指が腫れて少し変形し始めました。
「痛いなあ」と思い、湿布を貼り続けるも無効。
それでも、まあすぐ治る突き指かなと思い込むことにして(今思えばなぜ?)無視していました。
それから1ヶ月ほど経った頃、今度は左の足首と右膝が腫れ始めました。
この時やっと「なんかヤバそう」と感じ、病院に行く決意をします。
ネットで症状を調べるとリウマチをはじめとする膠原病がヒット。
発症年齢を見ると高齢の方に多い病気だったので、まさかとは思いましたが、近くのリウマチ専門クリニックに行って血液検査やエコーをしました。
結局、リウマチや膠原病は陰性。
お医者さんから「数値は普通だし、膠原病の心配はないので大丈夫」と言っていただきました。
そこで薬を処方され、飲み続けるも、数日経つと膝はさらに腫れ、足を引きずって歩くほどになっていきました。
「やっぱ大丈夫じゃなさそう…じゃね…?」
普通にそう思ったので、大きな病院に会社を休んで行きました。
でもやっぱり、先生から言われたのは「うーん、結果を見ると僕も一個前の先生と同じ診断をすることになるなあ。紹介状を渡すので○○病院で診てもらってね。」でした。
原因がわからない恐怖とこのまま歩けなくなるのではないかという恐怖で少し泣きそうでした。(我慢できた)
それから1週間後、現在もお世話になっている総合病院で「陰性のリウマチ」ということで診断を受け、治療をしているところです。
というかそもそも、「リウマチって何ぞや」って思う方もたくさんいると思います。
リウマチは簡単に説明すると、放っておくと関節が破壊され骨が曲がったり機能しなくなったりしてしまう病気です。
完治はなく、寛解(症状が出ないまま保てる状態のこと)を目標に治療をします。
話は戻って、リウマチの診断を受けた日、ぱんぱんに腫れた膝の水を抜き(試験管?3本分くらい入ってた)、初!ステロイド注射を打ちました。
するとなんと言うことでしょう…
「い、い痛くない…!!!!」
痛みなく歩けることの喜びを久しぶりに感じ、テンションが上がったのを覚えています。
ここで「普通って当たり前じゃないんだ…!」とめちゃくちゃ当たり前のことを閃きました。
そこからは「リウマチ用の薬」「ステロイド」「副作用を抑える薬」などを服用して痛みは落ち着いていきました。
とはいえ、今も最初に発症した手の指と足首は腫れがひかず…これから治療をひとつステップアップ(自分で注射を打つらしい)して破壊を食い止める予定です。
少し長くなってしまいましたが、ここまでが私のリウマチとの出会いの話です。
ありがとうございました。